責任感が生む無責任。無責任が生む責任感。

(株)田村製作所、(株)矢島鉄工所のグループは10月20日に決算を迎え、新た な期をスタートしました。

新たな目標を掲げ一年をスタートしていきます。

 

グループの人数が増えたため、組織をどのように運営していくかが大きな課題とな っています。私自身今

までのように、毎日朝礼に出て社員一人ひとりと顔を合わせ ることができなくなりました。今まで、今日何本

柱ができたのか?梁の加工の進捗 は?という事まで見えていたのが、すっかり見えなくなってしまいました。

今まで私は、社員一人ひとりと顔を合わせ、話を聞いたり指示をしたりすることが 私の仕事だと思っていまし

た。しかし、今環境が変わったことでそれは勘違いだっ たのではないかと感じています。

 

例えば、ある時、私が工場で不安全作業をしていた社員に注意をしたとします。そ の時その社員は不安全

作業をやめるでしょう。しかし社長である私はその他の業務 もあり一日中工場にいるわけにはいきません。

いるのはせいぜい10分、20分では ないでしょうか。その時どんなことが起こるのか?工場長や作業班長は

社長が社員 を注意したことで不安全作業を注意するのは社長の仕事という解釈が生まれてしま います。も

し工場内で不安全作業が行われていても、それを指摘するのは社長の仕 事、社長がいなければ不安全作

業をしても良い、という環境ができてしまいます。

 

社長が社員を指摘するのは安全な作業環境を作らなければという責任感からやって いることです。しかしそ

の責任感が反対に無責任を生むことに気づいたのです。本 当に安全な環境を作るには、その責任感を常

時工場にいる工場長、もしくは作業班 長にお渡ししなければなりません。そしてその責任を渡したうえで、私

がある意味 無責任になることで、その責任感を重いものにしなければと思うのです。

 

部門長、役職者は責任が増え、仕事もきつくなるかと思いますが、その分現場に近 い場所で現場に即した

判断ができるようになるでしょう。きっと働きやすい環境に なるはずです。