大義

最近半身浴がてらお風呂で本を読んでいます。この前読んだのは『秀吉の伽(加藤
廣著)』という本で、豊臣秀吉が天下を取り成功をおさめながらも、淀君の不倫に
悩まされ、自分の実の子ではないのに秀頼を後継者に選んでいく苦悩、嫉妬。そして
その中で死を迎えていく、そんな内容でした。(ネタバレ及びフィクションにて失礼
いたします。)

その本の中で「大義」という言葉が多く出てくることに気づきました。必ず秀吉は
戦争を起こす前に大義を立てるのです。例えば本能寺の変を受け、明智光秀を滅ぼす
山崎の合戦では「信長様の仇を討つ。」というのが大義であり決して秀吉が天下を取り
たいという私利私欲のための戦いではない(本音かどうかは別として。)ことを宣言
するのです。反対に朝鮮出兵という大義無き戦いには敗れていきます。

ハテ?それでは我々の関わっているこの鉄骨、そして建設という仕事の大義は何なの
か?ただ単に給料を稼ぎに来ているのか?ただ単に溶接しに来ているのか?我々の仕
事の社会的な意義は何なのか?私は大きな意味で3つの大義があると考えています。

一つ目は、高度成長期に作られた社会インフラの老朽化を踏まえ、その維持、更新と
その向上に貢献していくことです。老朽化の進行と人手不足は加速的に進行し、それを
維持することは容易ではありません。不可能であるとさえいえると思います。二つ目
は、そのような社会問題に少しでも貢献できるよう、能力のある職人、技術者、そして
それを管理できる管理者、経営者を一人でも多く育成し社会に送り出すことです。
そして三つめはそのような貢献ができる会社を構築する中で、弊社の経営理念である
『みんながよくなる。』を実現し、社員の皆さんの幸せにづくりに貢献することです。

弊社のような小さな会社がこのようなことを言うのは何とも力不足と感じますが、
少なくとも日々仕事をしている限りはたとえ豆粒のような存在であるにしても、社会
貢献につながっていることは間違いない。日々会社に、現場に来て仕事をするという
そんな日常の一日が微力ながらも社会貢献につながっているのは間違いないのです。

・・・と、そんなことを考えるのは正月休みの一時だけで、すでに日々の業務に埋没
し混沌と苦悩の日々であります。